福岡地方裁判所 昭和42年(行ウ)18号 判決 1968年8月30日
原告
株式会社九建日報社
右代理人
水崎嘉人
同
古川公威
被告
福岡県地方労働委員会
右代理人
林善助
ほか一名
主文
被告が、申立人福岡印刷出版関連産業労働組合、被申立人株式会社九建日報社間の福岡労委昭和四〇年(不)第二四号不当労働行為救済申立事件につき、昭和四二年六月一七日付で発した命令のうち、申立人の申立を認容した部分(主文第一項)を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一当事者間に争いのない事実<省略>
二証拠により認定した事実
<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。
(一) 原告、訴外申立人組合並びに訴外A
1 原告は福岡市に総局を、他の九州各県庁所在地及び北九州市に支局を置き、建築関係業界紙を発行する株式会社(但し、昭和三七年三月設立当時の商号は「株式会社九州建設新聞社」。昭和四一年二月現商号に変更。以下会社という)で、昭和四〇年当時の従業員は約三〇名であつた。
2 組合は昭和三五年五月印刷出版関係の企業に雇用されている労働者をもつて結成されたいわゆる合同労働組合である。
3 Aは昭和三四年四月会社の前身である株式会社建材新聞社九州総局に入社して以来引続き会社に雇用され文選工として勤務していた者で、組合の組合員である。
(二) 宮崎専務就任前の経緯
1 昭和三七年九月ごろ会社従業員の組合加入者が七名に達するや、Aを中心として九州建設分会(以下分会という)が組織され、それ以来同人は引続き分会長として、かつ組合の執行委員として分会の指導にあたつてきた。
2 その後昭和三九年一〇月に至り会社従業員が職制を除いてほとんど組合に加入し分会員が一挙に二四名に増加したのを背景に、組合は会社に対する姿勢を強め、同年末一時金要求に関する交渉においては分会結成以来初のストライキを決行するなど強硬な態度でのぞんだためかなり紛糾したが、結局従前以上の有利な条件を獲得して妥結した。
3 翌昭和四〇年のいわゆる春闘にあたり組合は同年二月二五日一箇月一律一四、〇〇〇円の賃上げを骨子とする要求書を提出して団体交渉を求めたところ、会社が組合員名簿等の不提出を理由に団体交渉を拒否し、さらに編集長、工場長、支局長等会社の職制を中心に別組合が結成されたことなどから闘争態勢を強化し、会社に対する抗議と組合員に対する情宣のため数十枚のビラやステッカーを会社社屋の随所に貼付した。
会社は従来組合の教宣ビラ等の掲示について特にその場所を指定したことがなく、また組合においても格別行き過ぎたビラ等の掲示をなかつたためこの点について労使間に紛争を生じたことはなかつたが、これを契機として右のようなビラ等の貼付が無統制で社内の秩序をみだすことを理由に掲示場所を規制することとし、当時の会社専務取締役小沢幸次が会社代表者山辺哲泉の指示により、同年三月中旬ごろ組合のA分会長と徳永副分会長を呼び、口頭で今後組合の指示物一切を社屋一階鋳造所の洗面所に面した壁面(枠等による仕切りはなく、横幅約1.5米、床面から天井までのほば長方形で、全体では畳二枚半位の広さがある。従来会社のレクリエーション関係の掲示や組合の教宣ビラ等の掲示にもよく利用されていた。以下指定場所という)に貼付し右以外の場所に貼付しないよう掲示場所を指定した。これに対し右両名は何らの意思表示をせず、また組合においても右指定を無視し、同年四月下旬執拗な抗議と追及により別組合を解散に追い詰めるとともに団体交渉が開かれて春闘解決の見通しがつくに至るまで右ビラ等を撤去しなかつた。
(三) 宮崎専務就任後の労使関係
1 右春闘における労使紛争が終局的な解決をみないうちに小沢専務をはじめ編集長、工場長、支局長等会社幹部を含む一四名が退職することとなり、これに対処して会社の建直しを図るため、同年五月一日付で同系の中国建設新聞社から宮崎宏始が新たに専務取締役として迎えられた。宮崎専務は職場の秩序と規律の確保を重視し会社職制に対しその旨を指示するとともに、従来会社が組合に対してとつた姑息な手段にも反省を加え、従業員に対し合法的な組合活動は認めるとして協力を呼びかけ、同月一〇日には春闘要求に関する組合との交渉を妥結させた。
2 このようにしてようやく春闘が終結し、労使関係は平常時に戻つたものの、必ずしも円滑に推移したわけではなかつた。すなわち、同年六月九日官崎専務が所用で外出する途中、たまたま徳永副分会長に出会い、同人と喫茶店で話し合つた際、同人とは以前会社の前身建材新聞社九州総局で一緒に勤務していた個人的な気安さもあつて、春闘における社内混乱の責任の所在をめぐつて同人がこれを全面的に会社側にあると主張したのに対し、組合にも一半の責任はあるとの立場から「本社の方には、喧嘩両成敗だから、会社側の責任者である小沢専務らがやめた以上、組合側でも分会長、副分会長位には責任をとつてやめてもらうべきだとの意向がある」等と発言して会社側のAに対する敵意をほのめかし、これが組合内でAの解雇を意味するものと受取られて三、四日後に組合から追及されたことがあつたほか、同月一六日ごろには同専務が社屋一階印刷工場内の奥の壁に組合の推薦する参議院議員候補者の選挙ポスター二枚が貼付してあるのを発見し、これを貼付したAに対し会社の指定以外の場所であるから撤去するよう指示したところ、同人が拒否したため同専務自ら右ポスターを剥ぎ取つたことから、組合が所有権の侵害、選挙妨害等と主張して悶着が起り、同専務が組合員約二〇名につるし上げられ、会社の要請により警察官が駆けつけるという事態も生じた。会社は右ポスターの件については別段の処分をせず宮崎専務がAを呼んで注意をするにとどめたが、組合は剥ぎ取られたあとの同じ場所に新たに同じポスターを三、四枚貼付した。
3 しかし、同年六月下旬から七月にかけての組合の夏季一時金要求に際しては団体交渉を重ねて順調に妥結するなど、その後は労使間に格別の問題はなく、ただ一〇月中旬に至り、組合が宮崎専務就任後の慣例を無視して団体交渉の席上に組合員約二〇名を出席させようとしたことから、会社が団体交渉ルールの確立を申入れたのに対し、組合では団体交渉権の侵害、組合に対する攻撃であると主張して容易に応じようとしないという新たな問題が生じたが、この問題についても同月三〇日に第一回の団体交渉が開かれる予定になつていた。
(四) 本件ポスター貼付から解雇に至るまでの経緯
1 Aは、同年一〇月三〇日午前九時ごろ(就業時間中)、「日韓条約を粉砕しよう」と題する縦約六〇糎、横約九〇糎の写真入りポスター一枚及び「日韓条約批准阻止、小選挙区制反対」「憲法じゆうりんに抗議する福岡県民集会」云々の記載のある縦約六〇糎、横約二五糎の写真入りポスター一枚(以下あわせて本件ポスターという)を会社の社屋一階入口左側便所の壁面(道路から会社建物内に入つたすぐ左側にあつて直ちに目につく場所)に貼付した。右ポスターの貼付は組合の指示によるものであつたが、具体的な掲示場所まで組合から指示されていたわけではなかつた。
右便所の壁面は指定場所から僅か二、三米位離れているだけで、一度他の従業員が社員族行会の掲示をして宮崎専務の注意を受け直ちに貼替えたことがあつた以外には、会社、組合その他を問わず、前記春闘の際貼付されたビラ等が撤去された以後に文書類が掲示されたことはなく、また、右便所の壁面だけでなく、社屋一階のうち入口から直接目に触れない奥にある前記工場内の一部の壁面を除いて右撤去以後に指定以外の場所に組合の掲示物が貼付されたこともなかつた。
2 本件ポスターの掲示を最初に発見した吉田編集長は、労務係の土師社員に連絡したうえ、同日午前九時三〇分ごろ、Aに対し指定以外の場所であるから指定場所に貼替えるよう指示したが、同人は「掲示場所を指定された憶えはないし、会社とそのような取決めをした事実もない。宮崎専務と話し合う」と主張してこれを拒絶した。この報告を聞いた土師労務係は宮崎専務の指示により同日午前一一時二〇分ごろから約三〇分間にわたりAに対し右同様に命じたが、同人は「会社が一方的に指定しても組合との話合いで決められたものでないから、どこに貼つても勝手だ。話合いをしよう」といつて拒否した。なお、その際同人の指摘により前記社屋一階工場内の奥の壁面に組合の演劇関係のポスターが貼付されているのを確認した土師労務係はこれについても撤去を命じたが、Aは応じなかつた。そこで、土師労務係から宮崎専務に報告し、同専務は来福中の山辺社長の指示により同専務自らAを説得しそれでもなお応じない場合には就業規則第三〇条第二号(「会社内の秩序、風紀を紊す行為があつたとき」諭旨解雇事由)、第二九条第四号(「その他前各号に準ずる程度の事由があるとき」譴責、減給または出勤停止事由。同条第三号「就業時間中濫りに職場を離れ又はその他勤務怠慢で業務に対する熱意を欠くと認められるとき」)により三日間の出勤停止処分に付することを決めた。
3 同年一一月一日(翌一〇月三一日は日曜休業)午前一〇時ごろ、宮崎専務はAを二階経理室に呼び、土師労務係立会のもとに本件ポスターを指定場所に貼替えるよう重ねて指示し説得したが、Aは前記土師労務係に対すると同様に答え、話合いを主張して譲らず、絶対に撤去しないと断言したので、同日から三日まで三日間(但し、三日は祝日休業のため実質的には二日まで)の出勤停止処分に付する旨及び同日午前一一時以降退社すべきことを申渡すとともに、すでに準備してあつた処分命令書を交付して右処分に服するよう指示し、さらに土師労務係から処分理由の説明がなされた。しかし、Aは一応右命令書を受取りメモしたうえ、これを同専務に返して退席し、分会員と協議して約一五分後に再び同専務のもとに至り、右処分には服さない旨を言明し、土師労務係、佐藤工場主任の制止を無視して午後五時三〇分の終業定刻まで就労した。
4 翌二日始業定刻の午前八時四五分ごろAが出社しタイムレコーダーに打刻しようとしたので、土師労務係がこれを制止し処分に服して退社するよう注意を与えたが、Aは聞き入れようとせず打刻したうえ社内に立入つた。さらに、午前八時五〇分ごろ二階の事務室に入り就業中の従業員に処分反対の抗議のビラを配布しはじめたので、土師労務係は就業時間中であり執務妨害になるとして中止させようとしたが、Aはこれを無視して配布を続け、その後階下に降り同労務係、佐藤工業主任の再三にわたる制止に抗して終日就労した。
5 このようにAが出勤停止処分に全く服さず、しかも就業時間中に職制の制止を無視してビラを配布するという行為に出たことにつき、会社では前記就業規則第三〇条第二号により同人をさらに同月五日から一八日まで一四日間(但し、七日、一四日の各日曜休業を含む)の出勤停止処分に付することとし、同月五日午後一時過ぎごろ宮崎専務が同人を呼び、その旨及び同日午後二時以降退社すべきことを申渡すとともに、今後再び不当に社命を無視する場合には断乎たる処置をとる旨を付記した処分決定通知書を交付し、右処分に服すべき旨並びに重ねて本件ポスターを撤去するよう指示した。しかし、Aは前回と同様に一応右通知書を受取つたうえこれを同専務に返戻し、右処分及びポスターの撤去には応じないと言明して退席し、同日午後二時以降土師労務係の処分に服するようにとの説得を無視して終業定刻まで就労した。
6 会社は右処分には絶対に服させ社内の秩序と規律を守るとの方針のもとに、翌六日朝には宮崎専務、土師労務係らがAの出社を阻止するため会社の入口で待機し、ほぼ定刻に現われた同人に対し処分に服して帰宅するよう説得したが、応じず、部外者一名を含む分会員ら五、六名が同人を両脇から支え取囲むようにして「わつしよい、わつしよい」と気勢を挙げながら実力で社内に立入り、土師労務係、佐藤工場主任の再三にわたる制止を無視して終業定刻まで就労したのをはじめ、一五日まで連日(但し、前記のように七日、一四日は日曜休業)右両名らの制止に抗して就労を続けた。そのうち、九日には特に宮崎専務が午前九時過ぎごろから約三〇分間にわたり処分に服するよう説得したが、Aはこれを拒絶し、その後一七日には出社してタイムカードに打刻した後退社し、一六日と最終日の一八日は出社しなかつた。
7 組合は本件ポスターの貼付された翌日ごろ書記局会議を開きポスターの撤去には絶対に応じないとの方針を決め、会社に対し再三にわたり処分の撤回を要求して抗議し、かつ団体交渉を申入れたが、会社は処分理由を説明し組合の主張を聞くだけで、Aの処分に関する団体交渉の申入れには応じなかつた。しかし、この間の会社、組合間の接触を通じて、まず話合いを要求し会社が処分を撤回しない限りポスターを撤去しないという組合の主張と、ポスターを撤去して処分に服することが先決でありそのうえでなら話合いに応じてもよいとする会社の態度とが全く対立し平行線にあることが明らかとなつた。その後同月一一日付文書による組合の団体交渉の申入れに対し、会社が同月一五日付でAの処分については事件の発端及び経緯に照らし交渉に応じる意思はない旨最終回答したので組合は翌一六日被告に対し同人の出勤停止処分について団体交渉のあつせんを申請した。そこで、被告は同年一二月七日会社の意見を容れ団体交渉ルール設定に関する問題を含めて交渉開始のあつせん案を提示したところ、双方ともこれを受諾した。
8 これに先だち、会社内においてはAが二回にわたる出勤停止処分に服さないことからこのままでは労務管理及び社内秩序の保持が困難であるとして一部の職制から苦情が提起されるに至り、一一月一二日には宮崎専務が土師労務係、佐藤工場主任及び吉田編集長と協議して解雇の方針を固め、二、三日後に山辺社長の意見を聞いたところ、同専務に任せるとのことであり、同月二〇日ごろAを解雇することが最終的に決定された。
しかし、右解雇の決定当時はすでに被告のあつせんがなされていたため、会社はAに対する通告を差控えていたものであるが、被告のあつせんによつて開始された同年一二月八日の団体交渉の席上において、まず出勤停止処分の理由を説明した後、組合から右処分撤回の要求が出されたのに対し、前記就業規則第三〇条第二号により同月一一日付で同人を諭旨解雇する意向であることを表明した。同時に、会社は同日Aに対し同月一一日付で諭旨解雇する旨及び「但し、同月一一日正午までに退職願を提出した場合には自己都合退職の取扱いをする」旨を付記した懲戒処分決定通知書を郵送するとともに、翌九日同人に対し口頭でその旨を通告し、さらに右期限までに同人から退職の意思表示がなかつたため同月一三日まで右取扱期限を猶予したが、結局退職願が提出されず、同年一二月一一日限り同人を解雇したものである。
三会社は被告が本件命令においてAに対する右解雇を不当労働行為に当るものと判断したのは事実の認定と評価を誤つたもので違法であると主張するので、右認定の事実に基づいて判断する。
(一) 会社が昭和三七年に組合の分会が結成されて以来昭和四〇年春の賃上げ要求闘争までの間組合の教宣ビラ等の掲示について特にその場所を指定したことがなく、また、組合においても格別行き過ぎたビラ等の掲示をしなかつたためこの点について労使間に紛争を生じた事実が存しないことは前記認定のとおりであるが、それだからといつて、組合がこれまでにない多数のビラ等を社屋の随所に貼付し、そのため社内の秩序が紊されたことを理由に、会社が施設管理権に基づいて一定の掲示場所を指定しそれ以外の場所への掲示を禁止することが従来の慣行に反しあるいは組合の既得権を侵害して許されないものとは解されない。もつとも、殊更に教宣の目的を達し得ないような掲示場所が指定された場合には、組合の運営に介入する不当労働行為を構成するが、そのようなことがない限り、組合は会社の施設管理権に基づく指定を受忍するほかないものといわなければならない。
そこで、昭和四〇年春闘に際して会社の小沢専務が指定した掲示場所についてみるに、前記二(二)3認定のように従来会社や組合の文書の掲示に利用されており、組合の教宣活動に特に支障を来たすものではなく、面積においても特段の支障があるとは考えられず、右指定をもつて組合の権利を侵害し、その運営に介入するものとはいえない。
(二) ところで、会社内の貼付を禁止された場所に禁止を犯してポスターを貼り、その後会社の再三にわたる撤去並びに指定場所への貼替えの指示、命令を拒否したAの行為が就業規則第三〇条第二号の「会社内の秩序を紊す行為」にあたることは否定し得ず、他に特段の事情も認められないのに、すでに昭和四〇年六月参議院選挙のポスターを指定以外の場所に貼付して悶着を起したことのあるAが本件ポスターを社屋一階入口左側便所の壁面に貼付した行為につき会社が同人を三日間の出勤停止処分に付したことは職場離脱の行為を考慮するまでもなく違法な懲戒とはいえない。
もつとも、<証拠>にみられる組合の数種類のポスター等が宮崎専務の就任後にもAや他の分会員により社屋一階奥の工場内の二、三箇所の壁面に会社の指定を無視して貼付されていた事実が存するが、これらはいずれも会社の発見しにくい工場の場所に貼付されたもので、会社が指定以外の場所への貼付を認めていたものとは考えられず、右出勤停止処分の効力を左右するものではない。
(三) 次に、右三日間の出勤停止処分に対し何ら反省することなく、会社側の再三にわたる制止にかかわらず就労を強行し、就業中の従業員にビラまで配布したAの行為が前記就業規則第三〇条第二号に該当することはいうまでもなく、会社が右行為についてさらに一四日間の出勤停止処分に付したことをもつてあながち不当ともいえない。
(四) Aは右処分を告知されるに際し今後再び社命に服さない場合には断乎たる処置をとる旨警告され、その後においても繰返し処分に服するよう説諭されながら、依然として何ら反省することなく、連日会社側の制止に抗して就労を強行し、殊に一一月六日にはAの出社を阻止しようとする会社側の制止にかかわらず実力で社内に立入るなど会社の処分に服さなかつたものであり、Aの右行為が前記就業規則第三〇条第二号の諭旨解雇事由に該当することは多言を要しない。
本件はもともと組合の情宣活動としてポスター二枚(もつともその内容は政治活動文書)を会社建物の指定以外の場所に貼付したことに端を発したものであり、それ自体をとりあげれば諭旨解雇の事由とすることは酷に過ぎると考えられる程度の就業規則違反であるが、会社は右行為により直ちに諭旨解雇に処したわけではなく、再度にわたり出勤停止処分に付し、かつ十分な説諭と警告を与えてAの反省を促しており、会社としては解雇を避けるため相当な努力を払つたのに、Aが全く反省の色を見せず、右一四日間の出勤停止期間中においても引続き会社の指示、制止を無視して連日出社し就労を強行したことは会社の経営秩序を紊す重大な就業規則違反行為であり、右のような行為が反覆されたことからすれば企業に対する反価値的性格が強度に表明されたものとみるほかなく、他に特段の事情の認められない本件では(一四日間の出勤停止期間の最終段階に至つて出社、就労をやめたからといつて格別反省の様子が見えるとはいえない)、会社が右第二次出勤停止期間中の行為を理由にAを諭旨解雇したのは相当であると判断せざるを得ない。
(五) 右に認定したように本件解雇の意思表示は右論旨解雇事由の存在を理由になされたものであるが、会社に不当労働行為意思があり、これが本件解雇の決定的原因となつたのではないかについてさらに検討する。
Aが昭和三七年九月ごろ自ら中心となつて分会を組織して以来、引続き分会長として、かつ組合の執行委員として分会の指導的地位にあつて活躍してきたことは前記二(二)1認定のとおりであり、昭和三九年末一時金要求闘争以後の組合の会社に対する強い姿勢、翌昭和四〇年春の賃上げ要求闘争における会社の団体交渉拒否と会社職制を中心とする別組合の結成、これに対する組合の執拗な抗議と追及、さらには同年六月日喫茶店における宮崎専務の徳永副分会長に対する発言等に照すと、山辺社長ら会社幹部が分会及びその中心的存在であるAの行動を違法不当と考えてこれに強い敵意をいだき、できればAを解雇したいと考えていた事実を認定するのに困難ではないが(闘争時におけるAの組合活動中に相当程度正当性の限界を逸脱するものがあつたかどうかは明らかでない)、そもそも前記認定のAの行動の経過に徴すると、企業秩序維持のための懲戒の種類として同人を解雇する以外の方法はほとんど考えられないというべきであるから、本件解雇が同人の前記組合活動を決定的原因とするものと認めることはできない。
また、会社が本件ポスター貼付事件発生後この件に関する組合の再三にわたる団体交渉の申入れに応しなかつたことは当を得た態度とはいえないが、前記二(四)7認定の右申入に際しての組合の主張からしてたとえ団体交渉を開いても会社が処分を撤回しない限り話合いの余地がなかつたことが明らかであり、一応本件ポスターを撤去し処分に服したうえでなら話合いに応じるとの会社の主張はあながち不当とも思われず、組合が真に団体交渉による解決を求めるのであれば、その程度の譲歩はすべきでありそのことによる組合の犠牲もさほど大きくないことを考えると、右団体交渉拒否をもつて本件解雇につき会社の不当労働行為意思を推認することはできない。その後被告のあつせんにより開始された団体交渉の冒頭に会社がAを解雇する意向を表明したことについてもその当時すでに本件解雇のやむを得ない事情が存在しており、会社は解雇の不動方針を最終的に決定していた以上、これをもつて不当労働行為意思を推認することも困難であるといわなければならない。<以下略>(松村利智 石川哲男 安井正弘)